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わたしの手芸歴

講師紹介ページで少し触れていますが、私は小さい頃から手芸が大好きでした。今はマクラメ一筋になってますが、今に至るまでの手芸歴をエピソードとともにご紹介したいと思います。

 

私の記憶に残る一番最初の手芸の記憶は、幼稚園入園前の3歳くらいの頃。母の隣でこたつに入って、母が繕いものをする横でフェルトの切れ端に鉛筆でうさぎの絵を書き、それを母が糸を通してくれた針でぶすぶす縫うという刺繍のようなことをしていました。夢中で刺すあまり指の皮をすくいとってしまいフェルトを指に縫い付けていたのに気づかず、母をびっくりさせたことがあるのを覚えています。

 

小学校1年生の時にはかぎ針で編み物を教えてもらい、冬休みの宿題にマフラーを編む!と無謀な挑戦をしました。

が、毎日雪遊びばかりしていては間に合うはずがなく、明日は始業式、という日になっても長さが30cmくらい…。どうしよう、提出できない、怒られるから学校に行きたくない!と絶望感いっぱいで泣きながら寝たのですが、朝になったら枕元にちゃんと首に巻ける長さまで編まれたマフラーがありました。母が夜なべでマフラーを編んでくれたのでした。

前日の絶望感も吹き飛び意気揚々と持っていったのですが、今考えてみると担任の先生が途中から編み目がきれいになっているのに気づかないはずもありません。母が半分以上作ったマフラーを見て、きっと苦笑したことでしょうね。

 

小学校3年生の冬休みには再度かぎ針編みで座布団カバーを作る事に挑戦しましたが、これも間に合わず…。表だけは編めたので、裏は毛糸をバッテンに渡して座布団にはめられるようにしてごまかしました。

 

初めて棒針編みを教わったのは小学校6年生の時。この頃すでに母は病気で入院していたため、母の病室でガーター編みを教わり、過去2回の失敗を教訓に大物に挑戦するのは止めて、ヘアバンドを編みました。これはちゃんと完成させることができて、冬の間中愛用していました。

 

ここまでは縫物も編み物も母に教わって覚えたのですが、中学1年の時に母が亡くなり、教えてくれたり一緒に楽しむ相手がいなくなってしまいました。

ちょうど思春期に入り父にはあまり話をしなくなっている私を心配したのか、母が亡くなった年の冬に父が大学生の家庭教師を見つけてきてくれました。その方は勉強も教えてくれましたが、お菓子作りや編み物も上手だったので、私は家庭教師の先生に教わりながら中学1年の冬に父にカーディガンを編みました。小学6年でヘアバンドだったところから1年後にカーディガンというのは、無謀な挑戦だったと思うのですが、教わりながら作ったお陰でちゃんと完成させることができました。ところが、いざ父にプレゼントすると小さすぎる!父はかなりやせ型なのでどうにか着ることはできるのですが、丈も袖も短く、明らかにサイズが合わないのです。それでもそのシーズン中は父は時々袖を通してくれていました。

 

とはいえ、窮屈なカーディガンはいつの間にか着られなくなり、私もすっかり忘れていたのですが、つい最近になって父の家に遊びに行った際に父が、「ゆき子、これ覚えてる?」と見覚えのあるカーディガンを出してきたのです。それは、私が編んだあの小さすぎるカーディガンでした。30年近くも父が大切に持っていてくれたことに本当に嬉しくなりました。

 

その家庭教師をしてくれた方ですが、お互い別な環境で忙しい毎日を送るようになった後も交流が続き、彼女に頼まれて子ども用のベストと帽子をお揃いで編んだこともあります。

 

編み物は本を見ながらの自己流ではありましたがその後も好きで、高校の時には当時お付き合いをしていた彼(現・夫)にマフラーやセーターをせっせと編んだこともありました。この時のマフラーは今でも持っていてくれています。結婚後はかぎ針でのレース編みに凝り、テーブルランナーやコースターなどを作りました。

 

子どもが生まれて1歳半の頃、軍足を使って作る抱き人形の作り方を教わり、2体作って子どもたちに手渡しました。子どもたちは男の子だからかあまりごっご遊びはしませんでしたが、寝る時や本を読んでもらう時、病気で辛い時やけんかして悲しい時、お人形と一緒にいると喜びは2倍に悲しみは半分になるようで、いつも片手に抱いて遊んでいました。次第にあちらこちらに穴が開いたり生地が擦り切れたりするのですが、その度に私が手術(ほころびを繕うこと)をしてあげると、息子はそばで心配そうに見守っています。10年も経つと繕い跡のないところはないような状態ですが、今でも寝る時は一緒。大事にしてくれています。

 

マクラメを本格的に始めたのは子どもたちが小学2年の時なので実は編み物や縫物に比べるとまだまだ浅いのですが、やはりちゃんとレッスンに通って覚えましたので、一番まともにできるようになりました。今はYouTubeなどの無料動画でも学べますが、実際に手つきを見てもらいながら教わるのが、上達が早く確実だと身をもって感じます。

 

こうして自分の手芸歴を振り返ると、ただただ作ってきたのではなく、制作に没頭することが安らぎであり拠り所であったと思うし、作品にまつわる温かい思い出が残ることが喜びとなって、手芸を続けてきたんだろうと思います。

手芸が好きな方にはきっと同じような経験がおありではないでしょうか。

今は安いものが簡単に手に入るご時世、多少のお金を出せば手に入らないものはないかのような世界に暮らしています。けれどそれとは逆行するようにハンドメイドが流行り、自分の作品を販売できるサイトでは数えきれないほどの作品が売られています。

時間をかけ、手間をかけ、お金をかけて、手芸をする意味は何なのか。また別の機会に考えをまとめてみたいと思います。