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夏休みワークショップに込めた想い

HANNAHでは、開講以来毎年、夏休みの時期に小学生から大人までを対象としたワークショップを開催しています。

 

普段は大人の方を対象とした教室を開いているHANNAHが小学生から参加できるワークショップをするのはなぜか。

実は、夏休みの宿題にぴったりだから、というだけではないんです。

 

私が中学1年の夏に母が亡くなりました。

がんばっていると認めてくれた母が亡くなり、頑張る張り合いがなくなってしまった私は、勉強にも身が入らなくなりました。

中学校に入りどんどん難しくなっていくのに、全然ついていけない…。

それを見かねた父が大学生の家庭教師をつけてくれました。その先生は手先が器用な方で、勉強を見てくれるだけでなく編み物も教えてくれたのです。

 

私は中学1年の冬に、家庭教師の先生に教わりながら、父のカーディガンを編みました。

ただひたすら編み物をしている時間は、母のことが急に思い出されて涙が止まらなくなるようなこともなく、ただ完成だけを目指して過ぎていきます。

単純に面倒な勉強からの現実逃避でもあったかもしれませんが、完成した暁には父はどんな顔をするだろうと思うとワクワクしたし、毛糸の手触りはふわふわと優しくて、悲しみに疲れ切った心を慰めてくれるような気がしたものです。

 

編み物をしたからといって、母を亡くした悲しみが消えるわけでも薄まるわけでもありません。

その時間だけは母のことを考えずにすむ、ただそれだけです。

ですが、それは『ストレスをいなす』という重要な意味がありました。

 

ストレスを乗り越えることができたら、きっと精神的に磨かれ、しなやかで強くなることでしょう。でももし乗り越えようとして越えられなかったら、精神的に追い詰められ病んでしまうかも。

だからといって、苦しい現実をなかったことにして、感じていないつもりで生きていけば、みじめな気分から一生抜け出せなくなるかもしれません。

 

どのように過ごしても時間は平等に過ぎますし、人間には時間が経つと辛いことも忘れてしまうというありがたい性質があります。

だから、頑張って越えられるストレスなら越えようとしてもいい、けれど頑張らずに何か他のことをしていなすという対処法を知っておいてもいい、そう思うのです。

 

編み物は自己流のままであまり上達しませんでしたが、今の私にはマクラメなら少しは教えられますから、子どもたちが夏休みに経験したマクラメを将来もしも辛いことがあった時に思い出して、何か作ってみようと思ってもらえたらいいな。夏休みマクラメワークショップにはそういう想いがあるのです。

 

ちなみに、前出のカーディガンですが、できあがって気づいた時には袖も丈も父には短く、着られる代物じゃありませんでした!(笑)

にもかかわらず、30年経った今もまだ父は大切に持ってくれています。ありがたいことです。