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私の子育て3(本音編)

双子を妊娠したと分かった時は、心底驚いたけれど、やはり嬉しかったです。持病があるため子どもを持つのは難しいと知っていたので、不妊治療もせず自然に任せようと思っていましたが、心のどこかでは子どもが欲しいなと思っていたのだと思います。

だから一人でももちろん嬉しかったと思うのですが、そうすると兄弟を生んであげたいと思って苦しんだかも。そういう意味で初めから兄弟がいる双子で生まれてきてくれることが本当に嬉しく、無事に産まれるまで気を付けて生活しようと気を引き締めていました。

 

でも、生まれてからのことは正直言って全然イメージが湧かず、まぁなんとかなるだろう、と高を括っていました。だって、長女として妹のおむつを替えたりミルクをあげたりしたことがあるし、看護学生時代には新生児室の実習もしたし…と。 …甘かったですね。

 

初めての子育ては誰しも苦しいものかもしれませんが、双子だから「一人分の大変さ×2」というような簡単なものではありませんでした。親戚も友人もいない環境で始まった私と夫だけの双子育ては、あっという間に殺伐としたものに変わりました。

 

子育て支援センターが近くにあっても、行く準備だけでへとへとになるので足が遠のきました。ちょっとした買い物にも行けず軟禁状態で、赤ちゃんがいるからこそ募る孤独感に押し潰されそうでした。

 

寝る時間は30分~1時間ずつ細切れ、食事は立ったままビスケットを数枚口に入れて終わらせる、そう言えば今日着替えもしてないし歯もまだ磨いてなかったと夕方気づく。そんな忍耐と体力勝負の数か月、我ながら良く生き延びたと思うような地獄の日々でした。死にたいくらい辛いと思っても、死ぬことも許されないという高い壁が目の前に立ちふさがって、無力感と絶望感で胸が張り裂けそうに苦しかったのです。

戦場じゃあるまいし地獄なんて大袈裟な、と思うかもしれませんが、母が亡くなったことよりも自分が病気になったことよりも更に苦しいことがこの世にあるとは予想してなかったな…と思いましたもん。

 

何より辛かったのは、妊娠が分かった時はあんなに嬉しかった我が子がこれっぽっちもかわいいと思えないこと。

眠れないのも嫌、食べられないのも嫌、体があちこち痛むのも嫌。この子たちのせいだ。辛い辛い辛い!

わたしを困らせるためにいるとしか思えないことが、何よりも苦しかったです。 (幸い、今はとてもかわいいと思えるようになりました。)

 

でも振り返ってみれば、苦しい双子育ての中で良かったこともあります。

 

ひとつは夫が家事をせざるをえなくなったこと。私がご飯を作るのを待っていても二人の授乳が終わるまでは出てきませんから。

もし子どもが一人だったらたぶん私は頑張って家事もしていただろうし、夫は未だに家事ができなかったと思います。今や、私のお手伝いというレベルではなく、我が家になくてはならない戦力です。

 

もうひとつは、他人の優しさに気づけるようになったこと。

バス停で「あら、おんぶが重そうね」と声をかけてくれた見知らぬおばちゃん。

「お母さんいつも頑張っているわね」と言ってくれた近所の方。

そういう何気ない言葉かけが心に沁みて、一日中胸のあたりが温かいということも度々ありました。双子は目立つだけに見知らぬ人に声を掛けられることも多いのですが、知り合いが一人もいない私にとってはそれが自分と社会をつなぐ唯一の接点で、涙が出るほどありがたかったです。

 

その経験を真似て、子ども連れのお母さんに自分から声をかけるようになったことも、苦しい経験したからこそかもしれません。

泣き叫ぶ子どもを引っ張るようにして歩くお母さんに声をかけて子どもを抱っこできるよう荷物を持ってあげたり、近所に赤ちゃんが生まれたらポストに連絡先を入れたり。お節介なおばちゃんと煙たがられるだろうけれど、それでもし少しでもお母さんの気持ちが軽くなるなら、と願っています。

 

2歳くらいまでは作業量が半端なく多い双子育て。でも、ありがたいことに、子どもはちゃんと成長し、手がかからなくなっていきました。

なんだかんだとありましたが、小学校に入る頃には『二人で遊んでくれるから助かるし、安心』と思うようになり今に至ります。